映画館におけるスマホ(携帯電話)について

電源を切れ。

それに尽きる。

例外は認めない。

鳴らないと油断している奴こそ100パー鳴る。

マナーモードにしておけば大丈夫?

貴様のバイブレーションの音が周りにどれだけ聞こえるか知っているか。

「大事な要件で連絡が来るかもしれないし…」

映画を観る空間の中で映画を観る以外に大事な要件などない。

「画面の明かりを暗めにしとけば大丈夫でしょ」

大丈夫なわけがない。

そのスマホを貸せ。

永遠に暗くあるよう叩き割ってやる。

ゴリラガラスだから割れない?

残念だったな私がゴリラだ。

先にも述べた通り、私は映画館で映画をみる時間の中で、映画を観る以外に大事なことなどないと思ってる。

その時間に映画より優先すべきことがあるなら、その人はそのタイミングで映画を観るべきではない。

映画館におけるスマホ(携帯電話)のあり方に賛否両論などあるわけがない。

どんなに注意を促しても電源を切らない奴は必ずいる。

そこに老若男女の差はない。若かろうが年寄りだろうが一定数存在する。言葉を選ばずに表現するなら、私は彼らを「悪」だと思う。

公開日を何ヶ月も心待ちにしていた映画が、スマホのせいで集中力を削がれ嫌な思いをするのはもううんざりだ。

私は近くの席で上映中にスマホを使っている人がいたら注意できる方ではあるが、結構勇気がいるし注意した後もしばらくは心臓がドキドキする。

「今日は穏やかに鑑賞できるだろうか」と思いながら席に座っているのも疲れた。

数年前、楽しみにしていた映画のクライマックスで携帯が鳴り、信じられないことだが上映中にも関わらずその電話に応対したジジイがいた。

心の底から早く死んで欲しいと思った。

私はその日、映画の内容とは関係なく、悲しくて悔しくて泣いたし、その後数ヶ月映画館に行くのをやめた。

ちなみに、上映中に電話に出た人に遭遇したのは、この日が初めてではなかった。

映画のためなら私はスマホなんてなくなっていいと思ってる。

それは現実的ではないので、なんとかして映画館側が通信を遮断するようにしてほしいと願っている。

私はいつから映画ファンになったのか

突然だが私は映画が好きだ。

記念すべき初の投稿となる今日は、まず「いつから私は映画が好きなのか」を紐解いていきたい。

 

両親ともに映画は好きだった。レンタルビデオで映画を観たり、夜テレビで放映している映画もほとんど観ていたと思う。

ところで、幼少期、私の家は子供は夜9時に寝る家庭だった。だから私は、金曜ロードショー日曜洋画劇場などとは、基本的には縁がなかった。けれど、ジブリ映画など子供でも楽しめるような映画は、テレビを録画して翌日以降に観ることはあった(とはいえ、テレビ放送されるより前にレンタルビデオで先に観ていることの方が多かったのだが)

それ以外の夜の映画は、基本的に怖いものだと思っていた。私が幼少の頃は、日曜洋画劇場などはホラー映画も平気で放送していた気がする。ジョーズや、人食いワニの映画も当時の私にとってはホラーだ。めちゃくちゃ怖かった。 夜9時に寝るのに何故それを知っているかというと、家族旅行に行った時、ベッドルームにテレビがあったので、子供(私と妹)が寝ている横で両親がワニの映画を観ていたのだ。旅行だと興奮しているのかうまく眠れない子供だった私は、音に誘惑されてチラチラと画面を観ていた。人が引きずり込まれワニに食われた後の川が、血で真っ赤に染まるというシーンを目の当たりにしてしまった。恐怖。その夜はほとんど眠れなかった記憶がある。

 

話は少し遡るが、私が初めて劇場へ映画を観に行ったのは4歳ぐらいの頃だった。

理由は全く覚えていないが、私が父に怒られ、その父にキレた母が私を連れて出かけたのだ。渋谷だったと思う。映画は「ネバーエンディングストーリー2」(私はずっと1作目だと思ってたのだが、よく調べたら1作目公開時はまだ産まれてなかったので2作目だったんだと思う)映画の内容はさっぱり覚えてない。1作目は大人になってから見返したが、2作目は観る気にならなかった。

 

それから、実写映画でも比較的子供向けの映画であった「マスク」「ロジャー・ラビット」「スーパーマリオ 魔界帝国の女神」などはビデオが擦り切れるぐらいに観まくった。マスクなんかは、山寺宏一の吹き替えが耳に馴染みすぎてジム・キャリーの声に違和感を覚える程だ。

小学校時代はそんなものだったと思う。

知ってる俳優は「ブラピ」と「シュワちゃん」ぐらいだった。しかもシュワちゃんと言いながら思い浮かべてた顔はブルース・ウィリスだった。ブラピは映画というよりジーンズのCMの印象が強い。

 

そんな私に転機が訪れたのは中学三年生の時だった。

清く正しくアニメ・漫画オタクだった私は、遂に開通したインターネットで遊びまくり、個人サイト全盛期だった時代に好きなアニメ・漫画ジャンルのホームページを回りまくっていた。好きなイラストを見、好きな小説を読みながら日々キャラクターとのあれこれに想いを馳せる型通りのオタク中学生だ。

そんな中、なんのジャンルが縁だったのかは全く覚えていないが、私の人生を変えたサイトに巡り合ったのである。

そのサイトの主は当時女子高生だった(当時の私より少しお姉さんだ)美麗なイラストに心奪われていたが私の知らないジャンルだった。調べてみるとどうやら小説らしい。私は原作を読むより先にそのサイトで大体のストーリーやキャラクターを掴んでしまった。しかも今度実写映画化するというではないか!これは観てみたい!行くしかない!

その映画とは、日本映画史上に残る傑作、深作欣二監督「バトルロワイアル」である。

当時中学三年生だった私は、そのショッキングなストーリーに衝撃を受けた。最後の一人になるまでクラスメイト同士が殺し合いをするというあまりにも有名なストーリーは、その後様々なアニメ・漫画ジャンルの二次創作のネタに使われている。今アラサーのオタクは何かしらで見たことがあるのではないのだろうか。 それだけ影響力が大きく、印象の強い作品だった。

特に私の場合は公開当時、登場人物と同じ中学三年生だったこともあり、恐ろしさと同時に興奮したのだ。「人を殺してはいけない」と、教えられるまでもなく染み付いた道徳観に真っ向から挑んでくるような作品だ。 映画を観た後、私は書店で原作本を買った。本屋の店員さんにお願いして、映画のPOPを譲ってもらったりもした。映画と小説の裏話的な本も買った。高校受験を控えていたにも関わらず、私はどハマりしてしまったのだ。

 

作品のキャラクターのみならず俳優にもハマった。当時まだ無名だった栗山千明柴咲コウ塚本高史高岡蒼甫などは配役も相まってやはり光っていたと思う。やはり同じようなことを考える人はいるもので、バトロワのファンサイトには出演者たちのメディア情報をまとめたページがあったりもした。それらを随時チェックし、普段なら見もしないドラマをテレビの前て張り付いていた。そのほとんどはチョイ役だったが、私は俳優たちが頑張っている姿を見ることができるだけで嬉しかった。

 

出演者の中で、群を抜いて興味を引いたのは、北野武安藤政信だった。

北野武は言わずもがな。ただ、あの当時の私の中では、「世界まる見えテレビ特捜部」に出てくる愉快なおじさんでしかなかった。映画監督をやっていることも知っていたが、観たことはなかった。

原作とは違う設定をつけられた、3年B組の担任キタノ。学校でも家庭でも寂しい男だった。バトルロワイアルが始まってからは何を考えているか分からない不気味な男だった。終盤で典子(前田亜季)に見せる絵は北野武本人が描いたものだそうだ。役とはいえ、仕事とはいえ、あの絵を描ける人間性ってどんなものなんだろうと子供ながらに思ったのだ。正直に言って怖かった。その怖さが興味を引いた。

次に安藤政信。恥ずかしながら、当時私は彼のことを知らなかった。単純にかっこいいと思った。彼が演じた桐山という男は、主要キャラの中では最も改変が加えられたキャラクターだった。私はどちらも好きである。

火の海の中、爆破で目が潰れた桐山が血の涙を流しながらマシンガンを乱射するシーンは、「マッド・マックス 怒りのデスロード」でオマージュされたらしい。私も大好きなシーンだ。その後、川田(山本太郎)によって撃ち殺され頭が吹っ飛ぶシーンまで含めて最高である。

 

そんな二人に魅了され、他に彼らが関わっている作品も観てみたい。 その欲求が、その後の私の映画ファン人生を作り上げたのだと思う。

 

その後、私は「キッズ・リターン」を観た。 北野武監督、主演安藤政信金子賢。 ヒリヒリと痛むような映画だった。

そして、私の記念すべき第1回目の一人映画は安藤政信主演の「サトラレ」となった。 そうやって、私は色んな映画を見めたのだ。

 

私がディープな映画ファンとなったのは、両親の影響も確かにあったと思う。 けれど今の私を作り上げたのは間違いなく「バトルロワイアル」であり、それを生み出した深作欣二監督であった。